• 1998.06.26
  • 声明・決議・意見書

ALSに関する報告書

第一東京弁護士会会長
 梶 谷  剛 殿


報 告 書

 申立人日本ALS協会からの人権侵犯救済申立事件につき、当委員会において調査した結果、下記のとおりの結論に達しましたのでご報告申し上げます。

第1 結論
 第一東京弁護士会は、自治大臣に対して、別紙要望記載のとおり勧告する。

第2 本件申立人および申立の趣旨
1、申立人
 申立人日本ALS協会は、筋萎縮性側索硬化症の患者、その家族等を構成員として昭和61年に設立された任意団体で、患者や家族のケア等に取り組んでいる。平成10年3月31日現在の会員数は7,101名である。
2、申立の趣旨
 筋萎縮性側索硬化症(通称ALS。以下「ALS」という)の患者は、病状の進行により、頭脳は何ら侵されることがないまま四股・言語障害等に陥り、その障害が呼吸筋に及べば人工呼吸器を装着して、24時間要介護の状態になる。このため、ALS患者の中には、選挙権を行使したくても、投票所へ赴くことが困難であり、また自ら投票用紙に記入することもできない等の理由から、棄権を余儀なくされている者が存在する。 これはまさに患者の参政権が侵害されているというべきである。 よって、このような人権侵害状況を改善すべく適切な救済措置を講じられたい。

第3 当部会の判断
1、ALS患者の実状
(1) ALSとは、Amyotrophic lateral sclerosis(アミオトロフィック・ラテラール・スクレローシス)の略称であり、日本語では「筋萎縮性側索硬化症」と呼んでいる疾患である。 ALSは、運動神経細胞だけが選択的に侵され、進行的に筋萎縮および運動麻痺を起こし、患者の大多数が死に至る原因不明の疾患であり、国の特定疾患に指定されている難病である。現在のところ有効な治療法は確立されていない。イギリスの宇宙物理学者ホーキンス博士がこの病気に侵されていることは有名であり、またアメリカ大リーガーのルー・ゲーリックがALSにより死亡していることから、ゲーリック病とも呼ばれている。
(2) ALS患者は、病状の進行に伴って四股の運動機能が麻痺・廃絶し、発声障害、嚥下障害を起こす。最終的には呼吸筋麻痺のため、人工呼吸器を装着して呼吸管理を行わなければ直ちに死に至る。人工呼吸器を装着しても予後はきわめて悪い。 我国のALS患者の実数は定かではないが、難病認定患者数だけでも平成8年末現在で4,119名おり、ALS協会によれば、そのうち寝たきりで24時間全面的介護を要する在宅患者は2,000名を超えると言われている。
(3) ALS患者の病状は、その進行の程度により様々であり、軽度の場合には、話すこともできるし、杖や車椅子により生活することもできる。しかし、病状が進行してくると四股の完全麻痺により寝たきりの状態になり、さらに呼吸障害が発生すれば気管切開による人工呼吸の装着を余儀なくされる。 ただ、ALSが他の難病性神経疾患と異なるのは、病変が運動神経のみに限定され、高次知的機能や視覚系を含む感覚系機能が完全に保持され、最後まで健常者と同様の知能・精神状態を保っているという点である。 病気が進行して、全身麻痺の状態にある重度の患者でも、かすかな手足の指の動き、まばたき、眼球の動き(眼筋は最後まで侵されない場合が多い)など、残されたわずかな運動機能を活用して、特殊な入力装置を備えたワープロや視線の移動により文字を選択するための文字盤等を使用しながら、外部とコミュニケーションを取ることが可能である。

2、現行の投票制度
(1) 投票当日投票所投票主義の原則
 公職選挙法は「選挙人は、選挙の当日、自ら投票所に行き、選挙人名簿又はその抄本の対照を経て、投票をしなければならない」と定め(法44条1項)、投票当日投票所投票主義を原則としている。即ち、原則として委任による投票や代理人による投票を認めない趣旨である。 投票の方法としては、記号式投票と自書式投票とがある。記号式投票では、予め投票用紙に候補者の氏名等が印刷されており、これに対し○の記号を記載することによって投票する。地方公共団体の議会の議員又は長の選挙については、その条例の定めるところにより、記号式投票制度を採用することができるとされている(法46条の2)。 この場合を除いて、投票は自書式投票によることとされており、投票用紙にみずから候補者の氏名等を自書し、これを投票箱に入れなければならない(法46条1項ないし3項)。 いずれにせよ、現行法上は原則として選挙人自らが、選挙の当日に投票所に行き、記号ないし候補者の氏名等を自ら記載しなければならないことになっているのである。なお、視覚障害者が点字を用いて投票することは認められている(法47条)。
(2) 投票当日投票所投票主義の例外
 投票当日投票所投票主義の例外として、次のような制度が認められている。
① 代理投票制度
選挙人が身体の故障又は文盲により、自ら投票用紙に○の記号又は候補者の氏名等を記載することができない場合には、その選挙人に代わって代理者が投票用紙に代筆して記載する代理投票の方法が認められている(法48条)。
② 不在者投票制度
 不在者投票は、投票日の前にあらかじめ投票させる制度であり、一般的な不在者投票制度(法49条1項)と、郵便による不在者投票制度(法49条2項)とがある。  
 ⅰ) 一般的な不在者投票 選挙人が職務、疾病等一定の事由により、投票当日に投票所へ行き投票するころができない場合に、不在者投票管理者の管理する投票記載場所において投票ができる制度である。 選挙人が都道府県選挙管理委員会の指定する病院、老人ホーム等に入院中の場には、その院長等が不在者投票管理者となり(公職選挙法施行令55条)、当該病院等で投票することができる。この不在者投票に際しても、前述の代理投票が可能である(施行令56条3項)。   
 ⅱ) 郵便による不在者投票 これは、前述の一般的な不在者投票の方法も行うことができないような重度の障害のある選挙人のために設けられた制度である。一般の不在者投票がいずれも不在者投票管理者の管理する場所で行われるのに対し、郵便による不在者投票は不在者投票管理者のいない選挙人の自宅等現在する場所において、選挙人が投票用紙に自書し、これを郵便によって所属地の市町村の選挙管理委員長宛てに送付する制度である。現在は身体障害者福祉法に規定する身体障害者又は戦傷病者特別援護法に規定する戦傷病者のうち一定の障害を有する者に対してのみ認められている。 しかしながら、この郵便投票制度においては、投票用紙の交付を受けるために必要な郵便投票証明書交付申請書を選挙人自らが自書しなければならないほか(施行令59条の3)、記号式投票が行われる選挙の場合でも自書式によらなければならず、さらに、代表投票も認められていない。このような厳格な用件が要求されているのは、投票の公正を確保するためであるとされている。

3、在宅ALS患者の選挙権侵害
 ALS患者のうち、投票日当日に投票所に行くことができる者は、自ら投票用紙に記載することができなくとも、何らかの方法により自己の意思を表示できれば、代理投票制度のより投票が可能である。また、指定病院に入院中の患者も、不在者投票管理者たる病院長を通じて、一般の不在者投票制度により、病院内において代理投票の方法によって投票を行うことができる。他方、在宅の患者のうち、自書できる者は郵便による不在者投票による投票が可能である。 しかしながら、投票所に行くことができず、かつ投票用紙に候補者の氏名等を自書できない患者については、自己の意思を表示することが可能であっても、現行法のもとでは投票権を行使することができないのである。

4、選挙権の憲法上の位置付け
(1) 憲法は、公務員を選定、罷免することは、国民固有の権利であることを規定した上で、公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障している(憲法第15条1項、3項)。
(2) 国の最高法規である憲法は、基本的人権を保障し、個人の尊厳を最も尊ぶ姿勢を基本にし、これを実現するための手段として国民主権や民主主義を制度的に保障している。 優越的な人権とされる表現の自由などがこれを担保しているのみならず、選挙権や被選挙権などの参政権もこれを側面から担保し、組織的に基本的人権を保障している。
(3) 参政権、とりわけ選挙権は、国や地方団体の意思形成において、自己統治や自己表現を行うための唯一かつ最も有効な手段であり、最大限に保障されなければならない極めて重要な人権である。従って、国や地方自治体は、国民が選挙権を行使できる機会を形式的にではなく実質的に保障しなければならないことは言うまでもない。 形式的に選挙権行使の機会を与えれば足りるというのであれば、国政選挙の場合に、日本に一か所だけ投票所を設ければ足りるという極論も成り立ち得るのである。要は、投票の機会は形式的に与えられれば足りるのではなく、国民一人一人が、これを行使しようと思えば行使し得る状態になければ、選挙権を実質的に保障したことにはならないのである。 従って、ALS患者達が選挙権を行使するだけの判断能力を有し、かつその意思を表示できる能力を有しているのにもかかわらず、これを行使できないでいるという現状は、不作為により実質的に選挙権を保障していないという意味で違憲状態と言える。

5、救済の方策
(1) 在宅の重症ALS患者の投票を可能にする方法として、まず考えられるのは、選挙管理機関の者が患者宅を訪問し、そこで本人の意思を確認して代理投票をさせる、いわゆる巡回投票制度である。 これに対しては限られた人数で短時間のうちに広範囲を巡回しなければならないという人的、時間的な制約の中で、果たして現実問題として実現可能かどうか疑問を呈する向きもある。 しかしながら、前述の憲法の立場からすれば、現に選挙権が侵害されている国民が少なからず存在する以上、手間暇がかかるからという理由は到底是認し得るものではない
(2) 次に、最も現実的で実行が容易な方法として考えられるものは、郵便による不在者投票において、代理投票を認めることである。 但し、この制度を安易に認めると投票の公正が害される危険性があることは事実である。 確かに、選挙の公正が図られなければならないことは言うまでもない。国民の正確な意思が投票結果に反映しなければ、国民主権が正常に機能しなくなるからである。 しかしながら、選挙の公正が害される危険性があるのであれば、これを除去するための方策を講ずれば足りるのであって、その理由をもって一部の国民の選挙権を事実上奪うことは許されるべきではない。国民主権を正常に機能させるための手段である選挙の公正確保のために、国民主権の命とも言うべき投票権を奪うことは、まさに目的と手段とを混同した本末転倒の議論と言うべきである。

6、結論
 以上述べてきたように、ALS患者の中に、憲法上保障された最も重要な人権のひとつである選挙権を行使できないまま放置されている者が存在する以上、投票所以外の場所で代理投票を可能ならしめるよう現行の公職選挙法を早急に改正し、これらの者に投票の機会を実質的に保障しなければならないと考える。 多くのALS患者達が、正常な判断能力を持ち、人間としての尊厳を保ちながら、壮絶な闘病生活を送っている。「人間であることを社会的に認めてもらいたい。自らの生の証としてぜひ一票を投じたい」というALS患者達の魂の叫び声に対して、応えていかなければならない。

以上

平成10年6月26日
人権擁護委員会委員長
村 越  進

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